2012年03月27日

南相馬市に行ってきました

先日、会社の有志によるボランティアバスに参加して二泊二日で南相馬市に行ってきました。

東日本大震災から一年が経ちましたがまだまだ現地では以前の生活に戻ることができていません。特に原発のある福島県の一部ではいまでも多くの住民が避難しています。

東京にいるとそんな状況は全く実感できないのですが、たまたま震災ボランティアの募集があったので参加してどんな状況なのか見てくることにしました。

南相馬市はその三分の一が福島第一原発の警戒区域(20km圏内)に指定されていて、二万人の住民が警戒区域外に避難しています。市内の線量は非常に低く、下手に山間部方面に避難するより安全なほどです。今回のボランティア作業は二日間とも30km圏内沿岸部の水田での瓦礫撤去作業でした。

monitoring post

(写真は南相馬市のボランティアセンターにあった放射線量を測定するモニタリングポスト)

水田での作業ということで、上下雨合羽にひざ下までの長靴、手には厚めのゴム手袋をはめて、水田中に落ちている瓦礫を手で拾い集めて分別します。集められた瓦礫はあとで業者がトラックで持って行って焼却等処理がされます。

担当した水田はすでに他のボランティアグループが作業をした後だったためパッと見は特に何も落ちていないように見えるのですが、実際中に入ってみるとそこら中に浅い土の中に瓦や木材やトタン屋根が埋まっていました。道具はスコップ、レーキ、農用フォークと運搬用一輪車程度でほぼ手作業です。結局、50人近くが二日間サッカーグラウンドの半分程度の広さを作業したのですが、残念ながらすべてを取りきることはできませんでした。

お昼の休憩時間には南相馬市役所の方に市の現状を伺うことができました。

市役所の方によると沿岸部の農地はまとめて行政が農家の方々から借り上げて、沿岸から内陸に向けて防波堤、メガソーラー、そして水田の順に作り、水田もより効率的な耕作ができるように大きくまとめていくという土地改革案が出ているようです。ただこのような農地転用は現在の法律では制限があるようで、震災直後においてすら地元のスーパーが仮設店舗を水田の上に建てるにもこの制限が原因でなかなか実現されなかったようです。そんなことがないようにここは速やかな特区化等の対応を期待したいですね。

現地の雇用も深刻なようです。求人は多くあるようなのですが、窓口業務などの事務職は多くの女性が市外に避難してしまったために供給不足になっています。また東電の補償が毎月一人10万程度あり、やりたくない土木作業を無理にしなくても一家の補償金だけで震災前の給料ほどになるので住民の労働意欲が奪われているようです。 (日経にも被災地の雇用に関するいい記事が出ていました: 「仕事はあるが集まらない」 被災地雇用の現実  :日本経済新聞)

この他にも同じ被災者である行政の方々の苦難など大変興味深いお話を伺うことができました。

遠く離れた東京からは津波による物理的被害しか見えませんが、今回の震災は地方がこれまで抱えてきた様々な問題も重なり甚大な社会的被害を与えています。これは被災地への金や物資の支援だけでは解決できない問題となっています。地方から利益を享受する東京としては"支援"という何となく他人事としてではなくて自身の問題として関わっていく必要がありますね。

水田での作業中、瓦をどかしたら泥の中に冬眠中のザリガニがいました。海水をかぶって瓦礫だらけの水田で本当にまた稲作ができるのか疑問でしたが、私たちが手を休めなければ意外にすぐできるようになるかもしれませんね。

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posted by harupiko at 08:04 | Comment() | TrackBack(0)
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